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〜 私設 「北野晶夫の世界」 〜
- 小説「汚れた英雄」に登場する人物 -
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登場人物名 |
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北野 元(きたの もと) |
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最初の登場頁 |
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第T巻 野望篇 P.17 |
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小説上の人物像 |
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第2回浅間火山レースの、ホンダについての記述の中で名前が紹介される。 晶夫が世界グランプリを転戦するようになった後、 ヨーロッパのサーキットでホンダのファクトリー・ライダーとして何度か顔を合わせ、ホンダ黄金期に活躍した日本人ライダーのひとりとしても登場する。
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実際の人物像 |
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1941年(昭和15年)1月1日生まれ、京都府京都市出身
1959年(昭和34年)4月に大阪・信太山で開催された第1回全日本モトクロス競技大会のオープンクラスにホンダドリームMF350で出場し優勝、同年8月の第2回全日本モーターサイクル・クラブマンロードレースではクラブマン125ccに市販モデルのホンダ・ベンリィスーパースポーツCB92で、クラブマン250ccにクラスでドリームスーパースポーツCR71で出場し両クラスで優勝、さらに同日併催されていた第3回浅間火山レースの125ccにも招待選手として出場し優勝し、3クラス制覇という偉業を成し遂げる。 なお、同レースの250ccクラスには招待選手として出場していないが、250ccでもホンダ・ファクトリーチームが勝てなくては立場がないと言う理由から、北野に出場を控えるように要請があったとも言われているほど、北野の走りは圧倒的であった。
1960年(昭和35年)からホンダのファクトリー・ライダーとして、高橋国光らと共に世界GPへ参戦し、第2戦マン島T.T.の250ccクラスで第5位に入賞する。 翌1961年(昭和36年) に米国デイトナで開催されたUS GP(ノンタイトル・レース)の250ccクラスにRC161で出場し、マイク・ヘイルウッドら強豪ライダーを抑え独走で優勝する。なお、この優勝はホンダにとっても海外のレースで初めて優勝したレースとなった。
しかしその年の世界GP第4戦マン島T.T.の練習中に転倒し頭を強打、1ヶ月に渡って意識不明の重体に陥る 。
この事故の後、長い期間を治療に費やし翌1963年昭和38年)の世界GPに復帰するも、前年ほどの活躍を見せることは無かった。
1964年(昭和39年)末に北野 元と共に田中健二郎を慕って4輪へ転向しニッサンへ移籍、追浜ワークスに所属し北野元、黒沢元治と「追浜ワークス三羽ガラス」と呼ばれ名実共に日本のトップドライバーとして活躍した。
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最終更新:2021/05/28 |