最終更新:2010/01/29

 

〜 私設 「北野晶夫の世界」 〜

 

- 小説 汚れた英雄 -

 

【小説で描かれる記録と実際の記録との差分】

 


 

小説「汚れた英雄」はのストーリーは、著者:大薮春彦氏によれば基本的に事実に忠実に描いた小説ではあるが物語の都合上「意図的に操作したところもある」と、大藪自身が説明しています。

ここでは、前項および前々項の記録等から、小説で描かれる記録と実際の記録との差分・食い違いを拾い出し、それが作者の意図的なものかそれとも間違いかを推理してみようと思います。

(継続調査中)

 

分冊

レース名

小説上

差分

調査元

第W巻

完結編

P.193

 

4戦マン島TT

 「これでヘイルッドは125250をホンダで、350をノートンで勝ち、マン島...」

ヘイルウッドがノートンで優勝したのは350ではなく500ccだ。

Honda Racing Result Data Archibes

 

P.306

 

5戦ベルギーGP

6戦西ドイツGP

「第5戦のベルギーGP、第6戦のゾリチュードで行われた西ドイツGP350ccは無かった。500は晶夫とマイクが交互に勝つ。」

5戦のベルギーGPはマイク・ヘイルウッドが優勝し、また第6戦 の500ccは開催されていない。

 

 

P.310

1962

7戦アルスターGP

「晶夫は、500ccレースでマイクとノートンのフィル・リードを破って...」

2位はヘイルウッドではなく(ヘイルウッドは優勝。)マチレスに乗ったAlan ShepherGBR)。

 

 

 

 

 

 「その(350ccクラス)レースで優勝したレッドマンは午後の250ccにもホンダを駆って優勝し...」

レッドマンは第2位で、優勝したのはトミー・ロブと書かれている。

 

 

P.353

1963

11戦アルゼンチンGP

「タヴェリは、レッドマンをせめて2位に入らせてポイントを稼がせるためにわざと3位にさがる。」

3位はLuigi TaveriではなくUmberto Masetti

と記録されている。

 

 

P.361

 

2戦スペインGP)

「その伊藤史朗は、322日のマレーシアGPで後輪をコース上のオイルにとられて立木に激突し48時間も意識不明を続けた後、いまは病床にいる。

小説上では「マレーシアGP」と書かれているが、実際はシンガポールGP(ノンタイトル・レース)

消えた天才ライダー 伊藤史郎の幻

(小林信也著)

 

P.364

 

7戦東ドイツGP

「ヘイルウッドのMVが例によって勝ったが、ソ連製SKEBが後半から素晴らしいスピードを出して四位に入る。」

小説上は「SKEB」と記述されているがHonda Racing Result Data Archibesでは「CKEB」、どちらが正しいかは不明。

Honda Racing Result Data Archibes

 

P.369

1964

11戦イタリアGP

「晶夫は、速度が落ちたレッドマンに引っぱってもらって四位になる。」

2位のJim Redmanに続いて3位でゴールしたのはMoriniに乗るGiacomo Agostiniで、晶夫の記録に該当すると推測されるMZ乗るAlan Shepherd4

 

 


 

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