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〜 私設 「北野晶夫の世界」 〜
- 小説「汚れた英雄」に登場する人物 -
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登場人物名 |
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高橋 国光(たかはし くにみつ) |
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最初の登場頁 |
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第T巻 野望篇 P.17 |
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小説上の人物像 |
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第2回浅間火山レースの、ホンダについての記述の中で名前が紹介される。 晶夫が世界グランプリを転戦するようになった後、 ヨーロッパのサーキットでホンダのファクトリー・ライダーとして何度か顔を合わせ、ホンダ黄金期に活躍した日本人ライダーのひとりとしても登場する。
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実際の人物像 |
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1940年(昭和15年)1月29日生まれ、東京都小平市出身。
1958年(昭和33年)8月に開催された第1回全日本モーターサイクル・クラブマンロードレースのジュニア級(350ccクラス)にハイスピリッツからBSA GoldStar350で初出場し、独走で優勝を飾る。 1959年(昭和34年)8月に開催された第2回全日本モーターサイクル・クラブマンロードレースでも、シニア500ccクラスにBSA GoldStar500で優勝、招待選手として出場した耐久レースの500ccクラスでも、BMWーR50に乗る伊藤史朗と接戦を演じわずか2秒差で第2位に入賞する活躍を見せ、その後の同年9月にホンダに入社する。
世界グランプリへは1960年(昭和35年) から125ccクラスと250ccクラスに出場する。 翌1961年(昭和36年)の第2戦西ドイツGPで日本人として初めて250ccクラスで優勝し、この年125ccクラスでランキング5位、250ccクラスにランキング4位に輝く。 1962年(昭和37年)も引き続き125ccクラスに出場、第1戦スペインGP、第2戦フランスGP連勝するが、第3戦マン島T.T.の決勝レースで激しく転倒、一時は生命も危ぶまれるほどの大事故であったが無事復帰した。
翌1963年(昭和38年)には世界グランプリへ復帰するものの、1964年(昭和39年) 末に北野 元と共に田中健二郎を慕って4輪へ転向しニッサンへ移籍、追浜ワークスに所属し北野元、黒沢元治と「追浜ワークス三羽ガラス」と呼ばれ名実共に日本のトップドライバーとして活躍した。 C10型スカイラインGT-R「箱スカ」が50勝を達成した時のドライバーでもある。
1999年(平成11年)にレーシング・ドライバーとして現役を引退した現在も、チーム国光の監督として活躍している。 2020年に、長年にわたって日本のモータースポーツの発展に大きく貢献してきたことが功績として認められ「スポーツ功労者表彰」を受賞、しかしこの頃から悪性リンパ腫に罹患し闘病生活を続けていた。 最後の参戦は2021年11月ののスーパーGT第8戦(FISCO)のTeam KUNIMITSU総監督としてだった。 2022年3月16日逝去、享年82歳
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最終更新:2022/03/17 |